「AIがあれば社内アプリは自分で作れる。もうSaaSは要らない」
こういう言説が、一部で目立ち始めた。だが正直に言えば、これは言い過ぎだ。そしてもっと正直に言えば——世の中の90%以上の人は、まだこの言葉が指している世界そのものを、見えてすらいない。
だから話は二段構えになる。まず、エージェントのやばさは、世間で言われている以上にやばい。 そのうえで、それでもエンタープライズ市場は、そう甘くない。 この順番で話さないと、たいてい議論が噛み合わない。
まず、エージェントは本当にやばい
過小評価から始めよう。今のAIエージェントにできることは、多くの人が思っているよりずっと先に来ている。
生成AIでコードが書けるようになった、という話はもう古い。エージェントは、要件を伝えれば自分で設計し、コードを書き、動かし、エラーを見て直すところまで回す。非エンジニアが、自然言語で指示するだけで、数時間前には存在しなかった社内ツールを手にする。定型の事務作業を、人間が張り付かずにエージェントが端から片付けていく。「アプリを作る」「業務を自動化する」という行為のコストが、桁で落ちようとしている。
これは誇張ではない。むしろ、この現実を体感していない大多数の側が、変化を過小評価している。実際、この議論の火付け役になったのも、こうした感覚だった。2024年末、MicrosoftのCEOサティア・ナデラは投資家のポッドキャスト「BG2」で、今の業務アプリ(CRMやERP)は突き詰めれば「ビジネスロジックを乗せたCRUDデータベース」にすぎず、エージェント時代にはそのロジックがAI層へ移り、アプリ群は崩れる(collapse)、と語った。厳密には彼は「SaaSは死んだ」とは言っていない——それをメディアが「SaaS is dead」に圧縮したのだが、能力の側の現実は、その煽り文句が指すとおり、確かに来ている。
だから、「中途半端なSaaSは死ぬ」は、もはや予測ですらない。薄い機能を一つ二つ束ねて月額を取っていただけのツール、AIに数時間で再現される程度の“ラッパー”——この層は、容赦なく消える。SaaSの相当数は、本当に死ぬ。そこは楽観すべきではない。
ただし、エンタープライズ市場はそう甘くない
ここまでを踏まえたうえで、逆側の話をする。
「アプリが作れる」「業務が自動化できる」——それは事実だ。だが、そこから「エンタープライズソリューションまで死ぬ」と一足飛びに結論するのは、現場を知らない議論だと思う。私の見立てはこうだ。死ぬSaaSと、死なないSaaSがくっきり分かれる。そして「SaaSの死」の先に来るのは、皮肉にも“新しいSaaS”である。
「作れる」と「応えきる」は違う
社内アプリを“作る”ことと、企業の要件に“応えきる”ことの間には、深い溝がある。
エンタープライズが本当に求めているのは、動くアプリではない。セキュリティ、性能、そして他システムとの連携だ。
- セキュリティ:誰が何にアクセスできるかの権限設計、監査ログ、データガバナンス、業界規制への準拠。これらは「機能」ではなく「責任」であり、後から足せるものではない。
- 性能・可用性:数千人が同時に使っても落ちないか。障害時に誰が復旧するのか。SLAを誰が保証するのか。
- 他システム連携:基幹システム、SSO、そして何十年も動き続けるレガシーとどう繋ぐか。データの整合性を誰が担保するのか。
AIは、これらを“作る”スピードは確かに上げた。しかし、“守り、つなぎ、回し続ける”のは、まったく別の仕事だ。ここを甘く見た内製プロジェクトが、この先いくつも壁にぶつかるはずだ。
内製の現実——PoCは作れる。その先が難しい
生成AIで作った社内ツールは、デモとしては見栄えがする。だが、それを何年も保守し、法改正に追随し、退職者が出ても回し続けられるか。属人化した“魔法のツール”は、作った本人が抜けた瞬間に負債に変わる。
TCO(総保有コスト)で見れば、「買うより作る方が安い」は、多くの企業で幻想に終わる。ソリューションベンダーが高い金を取っているのは、機能の対価ではなく、この“回し続ける責任”の対価だからだ。
分かれるのは「死ぬ/死なない」ではなく「できる会社/できない会社」
とはいえ、何も変わらないとも思わない。変化は「SaaSが死ぬか」ではなく、企業が二極化するという形で現れる。
一方に、内製をやりきれる会社がいる。エンジニア人材、ガバナンス体制、運用の体力を備え、AIを武器に自社仕様のシステムを組み上げ、競争優位に変えていく企業だ。もう一方に、作り始めたものの保守しきれず、結局はソリューションに戻ってくる会社がいる。おそらく、こちらの方が多数派になる。
「AIで内製できる」は、全員に配られた武器ではない。使いこなせる会社だけが得をし、格差はむしろ広がる。
“配管”はもう出揃った。足りないのは別のものだ
ここで、「では統合レイヤーが要るのだ」という話になりがちだ。実際、AIから既存システムを呼び出す仕組みは、すでに揃いつつある。MCPのような接続規格、iPaaS(MuleSoft、Workatoなど)のエージェント対応、Agentforceに代表される各社のエージェント基盤——これらはどれも、AIが外部の道具やデータを呼び出すための“配管”だ。
だが、配管がいくら整っても、それは「作れる人にとって作りやすくなる」だけの話でしかない。肝心の問題は手つかずのまま残っている。AIアプリを作るという行為そのものが、まだ難しすぎるのだ。
本当の空白地帯——“作る難易度”を下げる型
今のAIエージェントの弱点は、能力の低さではない。自由度が高すぎることだ。
何でもできる、というのは、裏を返せば「何を、どう作るか」を自分で設計できる人しか使いこなせない、ということでもある。プロンプトを詰め、ツールを繋ぎ、ワークフローを組み——結局、道具を飼い慣らせる一部の人間に用途が偏る。ノーコードのエージェントビルダーが登場してなお、多くの人が「で、これで何を作ればいいのか」の前で止まってしまうのは、そのためだ。
だから次に来るべきは、配管でも、より賢いモデルでもない。自由度をあえて削り、型(レール)を与え、AIアプリを作る難易度そのものを引き下げる層だ。作れることではなく、迷わず作れること。玄人の道具を、素人の道具に翻訳する層である。
これは新しい話ではない。歴史はいつも同じ形で進む。GUIがコマンドラインを飼い慣らし、フレームワークが生のコードを飼い慣らした。 自由度の高い強力な道具は、必ずそれを飼い慣らす“型”を呼び寄せる。AIエージェントだけが例外である理由はない。
結論——SaaSの死ではなく、SaaSの再来
そう考えると、面白い逆説にたどり着く。
かつてSaaSが勝ったのは、「生のソフトウェア開発は難しすぎる」という問題を、型に嵌めて誰でも扱える形に翻訳したからだった。そして今、「SaaSの死」の先に求められているのは——AIという新しい生の力を、誰でも扱える形に翻訳する仕組みである。原理はまったく同じだ。
だから起きているのは、単純な死ではない。淘汰と、再来が同時に起きているのだ。
死ぬSaaSは多い。おそらく、今あるSaaSの相当数が消える。薄い機能を売っていただけのツールは、AIに飲み込まれて跡形もなくなる。そこは楽観すべきではない。だが、その屍の山の一方で、SaaSという発明そのものは——より上位のレイヤーで繰り返されようとしている。姿を変え、名前を変えて。
生き残り、むしろ強くなるのは二つだ。企業要件の重さを引き受けるエンタープライズと、AIアプリを“誰でも作れる”ところまで型化する、次の“作る基盤”である。
「SaaSは死ぬ」と煽られたとき、問うべきはこうだ。死ぬのか。それとも、姿を変えて戻ってくるのか。 その目を持てるかどうかが、この過渡期を読み違えないための、唯一の武器になる。




