OpenAIは9月8日、流体力学の基礎方程式をめぐる長年の未解決問題を扱ったナビエ–ストークス方程式の存在と滑らかさ問題の解決を公開した。3次元の非圧縮性流体が、滑らかな状態から動き出しても有限時間のうちに速度が発散する「特異点」を生じうることを示した内容で、証明を書き下した論文と、定理証明支援系Leanによる形式化の両方が同時に出ている。
この問題は、米クレイ数学研究所が2000年に設定した7つのミレニアム懸賞問題の一つ。方程式自体は19世紀のクロード・ルイ・ナビエとジョージ・ガブリエル・ストークスの仕事にさかのぼり、1934年にジャン・ルレイが弱い意味での解の存在を示して以降、その解が常に滑らかなまま保たれるかどうかが約90年にわたって決着していなかった。航空機の設計や気象予報、血流の解析に使われる方程式が、流体を連続体として扱う近似のままどこまで通用するのかという問いでもある。
OpenAIによれば、示されたのは静止した滑らかな流体に滑らかな外力を加えたとき、全体のエネルギーが有限にとどまったまま特異点が発生するという結果だ。クレイ数学研究所の公式な問題設定でいう命題「C」(および「D」)を成立させたことになり、解が常に滑らかであるとする側を否定する形での決着にあたる。解の姿は内側へ巻き込みながらスパゲッティ状に引き伸ばされていく渦で、中心部が縮みながら加速する一方、加速度・圧力勾配・運動量輸送・粘性の各項が精密に打ち消し合うことで、外力は滑らかなまま速度だけが無限に伸びていく。
1万体規模のエージェントを88時間走らせた
証明を出したのは、8月28日から学習を続けている社内モデルだという。OpenAIはこれを「GPT‑6 Astraより大幅に高性能」と表現している。GPT‑6 Astraは9月3日に公開されたばかりの同社の最新公開モデルで、今回使われたのはさらにその先の、学習が現在も進行中のモデルということになる。
取り組みが始まったのは9月1日。ミレニアム懸賞問題のうち2問が解かれたという噂を聞いたことがきっかけで、未解決の全問題に内部モデルを当てる評価が立ち上がった。構成は、キャッシュ済みのウェブ閲覧とコード実行を道具として持つエージェントを多数並列に走らせるもので、ナビエ–ストークスを解いたグループはおよそ1万体の同時実行だった。問題文の複数のバリエーションを別々のグループに与え、証明側(AとB)と反証側(CとD)を並行して探索させている。
先に成果が出たのは、粘性項を落としたオイラー方程式の正則性問題のほうだった。約100体のエージェントが50時間ほどで外力なしの場合の反証を出し、OpenAIはこの結果を他のエージェントに与えてナビエ–ストークスに資源を集中させた。答えが出たのは9月5日、最初のエージェント起動から約88時間後で、Leanでの形式化と検証にはGPT‑6 Astraでさらに17時間かかっている。全問題を通じてエージェントが交わしたメッセージは490万通、出力トークンは約3,000億。ナビエ–ストークス1問だけで270万通・約1,300億トークンを消費した。
懸賞金の授与条件はまだ満たしていない
OpenAIは今回の結果について、ミレニアム懸賞金を請求する意思はないと明言している。クレイ数学研究所の規定では、懸賞の対象になるのは査読付き雑誌に掲載され、そこから2年間にわたって数学コミュニティに受け入れられた解答に限られる。今回公開されたのは論文とLean形式化であり、この手続きはこれからだ。7問のうち解決済みとされているのは、グリゴリー・ペレルマンが2002年から2003年にかけて示したポアンカレ予想の1問だけで、ペレルマン本人は2010年に授与が決まった賞金を辞退している。
一方で、Leanによる形式化が同時に出ている点は、これまでの「解決宣言」とは性質が異なる。Leanは証明の各ステップを機械的に検証する処理系で、論証に飛躍があれば通らない。人間の側に残る検証は、Leanに書かれた主張がクレイの問題設定を正しく写し取れているか、という入口の部分に絞られる。
Anthropic所属の数学者との並行研究
発表には、外部研究者との経緯も書かれている。OpenAIが9月1日に聞いた噂の出どころは、Anthropicに所属するLevent Alpöge氏とニューヨーク大学の数学教授Tristan Buckmaster氏の研究だった。OpenAIは自社の検証を終えた9月6日に両氏へ連絡を取り、共同発表を提案したが、その時点で両氏の成果が外力ありのオイラー方程式の解決であることが判明したという。OpenAIのエージェントが解いたのは外力なしのオイラーで、結果そのものが異なるとしたうえで、OpenAIは両氏の先行性を認めると述べている。
OpenAIは今回の公開の目的を、モデルの進歩の速さを外部に伝えることだとしている。8月28日に学習を始めたモデルが9月5日には約90年間解かれなかった問題に答えを出し、その間に3,000億トークンを吐き出した——この日付と数字の並びそのものが、同社が「次の段階に入った」と主張する根拠として置かれている。




